落語家の瀧川鯉斗さんが若い頃に、天白スペクターという暴走族の総長をしていたそうですが、その頃からイケメンで数々の逸話を残しています。
この記事では、そんな瀧川鯉斗さんの中学時代や暴走族時代のことを紹介します。
瀧川鯉斗のスペクター総長時代の画像がイケメン!

引用:ナタリー
落語家であり、タレントとしてテレビのバラエティー番組でも活躍中の瀧川鯉斗さんは、2019年5月に真打ちに昇進しています。
また、瀧川鯉斗さんはイケメンの落語家としても注目されています。
そんな瀧川鯉斗さんは、若い頃高校へも進学せずに『天白スペクター』という暴走族の総長として活動していた時期がありました。
イケメンの落語家が、元暴走族の総長をしていたと言われても、ちょっとイメージしにくいですよね。
瀧川鯉斗さんがオートバイに魅了されて、暴走族『天白スペクター』の総長をしていた頃の画像がありますので紹介します。

引用:デイリー新潮
この写真でも分かる通り、瀧川鯉斗さんが『天白スペクター』の総長をしていた頃から、かなりのイケメンだったことが分かります。
瀧川鯉斗は13歳から暴走族!

引用:KAZE NO UWASA
瀧川鯉斗さんは1984年に東京都で生まれ、父親の転勤で3歳の頃に北海道の札幌で生活していました。
また、小学校3年の時には再度父親の転勤で愛知県名古屋市に転居しています。
瀧川鯉斗さんは、もともとスポーツ万能で小学校時代では夏は野球をやり、冬はサッカー部に所属していたそうです。
さらに、学校の部活だけでなく、学校以外のリトルリーグやクラブチームでも活動していました。

引用:スポニチ
また、中学時代はサッカー愛知県代表の監督からスカウトされたといいます。
ですから、瀧川鯉斗さんは当時から運動神経が発達していて、注目される選手として目立っていたのでしょう。
実際、瀧川鯉斗さんはゴールキーパーとして県代表のチームにも参加するほど、有望選手として期待されていました。
しかし、瀧川鯉斗さんが13歳の頃、野球やサッカーの他にオートバイの魅力とりつかれるようになりました。
そうして、その結果生活が乱れてしまい、そのせいでサッカー推薦による高校進学も断念しなければなりませんでした。

引用:BUZZL
瀧川鯉斗さんがスクーター集団の『天白スペクター』の総長になったのが、16~17歳の頃で2~300台くらいで乗っていたといいますから、かなり大きな集団だったことが分かります。
ただ、引退するのが17歳の終わり頃という暗黙の了解があって、18歳で暴走族を引退していますが、その頃はまだ落語家になるとは思っていかなったそうです。
ちなみに、瀧川鯉斗さんが落語家になろうと思ったきっかけは、上京してアルバイトをしているときでした。
その頃、現在の師匠である瀧川鯉昇さんの落語を見て、それまでにないくらいに心を打たれたことで落語家になろうと思ったそうです。
瀧川鯉斗のスペクター総長時代の数々の逸話がヤバい?

引用:トピック365
落語家としてだけでなく、バラエティー番組やワイドショーでも活躍している瀧川鯉斗さんですが、若い頃に『天白スペクター』の総長をしていた頃に数々の逸話も残っています。
瀧川鯉斗さんは身長が182cmと大きく、『売られた喧嘩は買う度胸。売った喧嘩は勝つ根性』をモットーにして喧嘩に明け暮れていたそうです。
そんな瀧川鯉斗さんですから、よほど喧嘩には自信があったのではないでしょうか?
そういえば、芸能界では過去に当時日本最大の暴走族である『ブラックエンペラー』の総長という肩書を持つ宇梶剛士さんがいます。

左から5番目が宇梶剛士さん 引用:アメーバブログ
宇梶剛士さんも身長が188cmあり、喧嘩が強くて有名で周囲からの推薦で総長になったという経緯があります。

宇梶剛士さん 引用:NHK
瀧川鯉斗さんが『天白スペクター』の総長になった経緯は分かりませんが、きっと喧嘩の強さや見た目から総長に選ばれたのではないでしょうか?
瀧川鯉斗さんの場合、17歳のときに天白スペクター名古屋支部の12代目総長になったそうです。

引用:ニュースのミカタ
瀧川鯉斗さんは中学時代にサッカーに熱中していたものの、高校ではオートバイにのめり込んで暴走族にも加わるようになり、喧嘩に明け暮れた結果高校を退学させられました。
そんな瀧川鯉斗さんが、天白スペクター総長をしていたときの数々の逸話を紹介します。
頭に12針縫う重症を負いながらも相手総長とのタイマンに勝つ!

引用:語源由来辞典
ある日、瀧川鯉斗さんが率いた天白スペクターとそれに対立していた暴走族とで、100対100の喧嘩になったそうです。
その時、瀧川鯉斗さんは相手の暴走族から金属バットで頭を殴られ、12針縫う重症を負いました。
瀧川鯉斗さんは、そんな怪我を負いながらも、相手の総長とのタイマンで決着をつけることとなり、その喧嘩で瀧川鯉斗さんが勝ったそうです。
普通は金属バットで頭を殴られたら死んでいてもおかしくないですよね。
それなのに、そこから大怪我を負いながらのタイマンってどれだけ強靭なのでしょうか?
瀧川鯉斗さんが総長時代に300台のオートバイを引き連れて走った

引用:カナロコ
瀧川鯉斗さんは、以前ネットのインタビューで次のように答えていました。
普段は100台くらいで走っていましたが、特別な日は300台くらいで走っていました。当時は本当に楽しくて、エンジンをどうすればうまくふかせるか、ラッパをどのタイミングで鳴らすとかそんなことばかり考えていました。
それにしても、300台以上のバイクの先頭を走るわけですから、かなり目立っていたはずですが、周囲のことを考えるとかなり迷惑な存在ではありますよね。
まとめ
今回は、落語家の瀧川鯉斗さんが若い頃に暴走族の総長をしていたことや、その頃の逸話などを紹介しました。
・瀧川鯉斗さんは天白スペクターの総長をしていた
・瀧川鯉斗さんは天白スペクターの総長時代に数々のエピソードがある
イケメンの落語家でバラエティー番組にも出演する瀧川鯉斗さんに注目ですね!!

